まぁそういう人は「ぐぐれる人に聞こう」ってなるじゃない。
そこそこ的を得た検索結果をまんべんなく出してたら、「あいつに聞けばいいや」ってなるじゃない。
その結果、いつもメールとか電話が着信しっぱなしになるじゃない。
ちょっとデザインかじってたりweb作れたりすると、「簡単でいいから作ってよ」って人が寄ってくるじゃない。
「今時web作るのってタダでできることばっかりなんだから、全部無料で作ってよ。メシおごるから」とか言うじゃない。
「結婚式のウエルカムボード作って〜」「そういうの得意なんだよね?」とか言うじゃない。
さらにPCを自分の興味範囲で自作してたり、不具合の対応に慣れたりしてると、
「なんもしてないのに壊れたからなおして」っていう人が出てくるじゃない。
1日かけて普通に動くレベルまで調整して返したら「ありがとー、ごはんおごるわ」とか言うじゃない。
そういうのがエスカレートして、
とか言ってくるじゃない。
知らないって言ったら「調べて」って言うじゃない。ヘラヘラしながら。
試しに「それしたらなんかくれんの」って聞いたら「なんかおごる」とか言うじゃない。
なんで「なんかおごるから万引きの仕方教えてー」と言えるのかと考えたはじめたら悲しくなった。
次々と他愛もなく浴びせられる要求に、善意が枯渇していくのを感じた。
氾濫している情報から適切な情報を届けることに対して「タダでできそうラッキー」とか「安く買いたたける」としか考えていない人が、大勢いたんです。
感謝の言葉と「なんかおごる」程度の謝礼で、私に「都合のいい秘書になれ」「万引きをしろ」と簡単に言う人が、大勢いたんです。
これは5年前の話ですが、それ以来PCを介した情報を誰かに気軽に届けることに対し、身構えて知らない振りをすることが多くなりました。
私は未だに「ぐぐれない」人がたくさんいて、少しでも「なんかおごったらやってくれそうな人」を見つけたらそういう人達がダッシュで突っ込んでくるような気がしてならない。
福島で取材していると、「逃げる」という表現をよく耳にする。「うちの近所にも逃げた人はいたよ」とか「逃げたいけど先立つもの(カネ)がないからね」といった具合だ。
「逃げる」が「避難する」という意味に使われているのだ。それは「放射能から逃げる」という意味でもあるのだろうが、多分に「仲間をおいて逃げる」というニュアンスを含んで使われているように感じた。
大人だけではない。子どもの社会でも「逃げる」という表現が使われている。小学生の子どもを持つ父親が語った。
「一時避難していて学校に戻ってきた子どもが、まず友だちに言うのが『ごめん』なんだそうです。避難していた子を『あいつは逃げた』と、うちの子も普通に言います」
露骨なイジメがあるわけではない。「逃げた」と言う方も、あからさまな敵意があって言うわけでもない。
しかし、そこに「陰湿な空気」を感じないわけにはいかない。それがあるからこそ、戻ってきた子どもがまず口にするのが「ごめん」なのだ。
「友だちを残して自分だけ逃げてきた、という気持ちを子どもは持っています。それに苦しんでいます。だから、『帰りたい』と何度も何度も言うんです」。子どもを避難させて、自らは福島に残っている父親はそう言った。避難した子どもも、避難した先で「ごめん」という気持ちに苦しんでいるのだ。
変態ツイート多めとほざいておきながら、内容は小学生、いや、幼稚園レベルのシモネタのオンパレード。それを身内で誉めあうという今の永田町ですら見られない茶番劇に、僕は怒りを通り越して虚無感に包まれました。
ファッション変態共にはパワーが感じられないんですよ。この行為をしなければ精神状態が安定しないどころか、生死に関わる。その刹那の糸を張りつめているような緊張感がまるで感じられない。あるのは安全圏で自分の大したことない性癖をアピールして悦に浸る、腰抜け根性。自身の魂を削らないものに、どうして他人を震わせることが出来るでしょうか。
そして知性が足りません。卑猥な単語を、言葉を覚えたばかりの旧人類のように連呼するだけで、こいつら国語の勉強、いや、そもそもまともな教育を受けたのかが疑問です。自身の変態性を他者へと伝えるための表現力と感性がまるで欠如しています。
そもそも変態は迫害されるべきなんですよ。迫害されても、あえて変態という後ろ指を指されながら、自分の信念を貫き通す生き様。社会では常識人という仮面を被りながら、影では変態行為をするという多面性。隠匿されるべき行為に背徳感を感じる高度で知的な文化活動。これが真の変態というものではないでしょうか。
なのにファッション変態はどうでしょうか。隠すどころか公の場に表れ、自分を異常に見せようとすることだけに血道をあげ、行為には情熱を捧げない。もうね、こいつら死ね。
中世より魔術は隠匿されるべきで、公にされればたちどころに神秘性を失うと言われていますが、変態もまさに同じだと思います。今こそ変態に神秘性を復活させるべきではないでしょうか。誰がやる?そう、僕らです。今こそ真の変態道を突き進みましょう。